日刊野球ネイション版・プロ野球選手名鑑

ページ作成:Kaz/最終更新2017年02月02日

松坂大輔 - Matsuzaka, Daisuke

出身地 東京都江東区 生年月日 1980年09月13日
身長体重 183cm / 93kg 投打 右投右打
ポジション 投手 プロ入り 1998年ドラフト1位
既婚独身 既婚(柴田倫世夫人) グラヴ asics
スパイク asics バット
中学 江戸川南リトルシニア 高校 横浜高校
大学 社会人
ウェブサイト SNS
オリンピック 2000年、2004年
WBC 2006年、2009年
プレミア12
オールスター 1999-2001年、2004-2006年
(2002年と2003年は怪我により出場辞退)





松坂大輔投手年度別投手成績



































































2017 ソフトバンク 18 37 ¥400,000,000 3 2017
2016 36 ¥400,000,000 1 0 0 0 0 0 0 0 0 .--- 10 1回 3 0 2 0 2 2 1 0 5 2 18.00 5.00 2016
2015 35 ¥400,000,000 0 - - - - - - - - .--- 0 0回 - - - - - - - - - - -.-- -.-- 2015
2014 メッツ 16 34 ¥150,000,000 1 31 9 0 0 0 3 3 1 3 .500 359 83回1/3 62 6 50 5 6 78 6 0 38 36 3.89 1.34 2014
2013 33 ¥10,170,000 1 7 7 0 0 0 3 3 0 0 .500 166 38回2/3 32 4 16 0 5 33 0 0 21 19 4.42 1.24 2013
2012 レッドソックス 18 32 ¥1,033,333,300 6 11 11 0 0 0 1 7 0 0 .125 215 45回2/3 58 11 20 0 3 41 3 0 43 42 8.28 1.71 2012
2011 31 ¥1,033,333,300 8 7 0 0 0 3 3 0 0 .500 167 37回1/3 32 4 23 0 1 26 0 0 24 22 5.30 1.47 2011
2010 30 ¥833,333,300 25 25 0 0 0 9 6 0 0 .600 664 153回2/3 137 13 74 1 8 133 4 0 84 80 4.69 1.37 2010
2009 29 ¥833,333,300 12 12 0 0 0 4 6 0 0 .400 283 59回1/3 81 10 30 1 2 54 8 0 38 38 5.76 1.87 2009
2008 28 ¥833,333,300 29 29 0 0 0 18 3 0 0 .857 716 167回2/3 128 12 94 1 7 154 5 0 58 54 2.90 1.32 2008
2007 27 ¥633,333,300 32 32 1 0 1 15 12 0 0 .555 874 204回2/3 191 25 80 1 13 201 5 0 100 100 4.40 1.32 2007
2006 西武 26 ¥330,000,000 1 25 25 13 2 2 17 5 0 0 .773 722 186回1/3 138 13 34 0 3 200 5 0 50 44 2.13 0.92 2006
2005 25 ¥250,000,000 1 28 28 15 3 3 14 13 0 0 .519 868 215回 172 13 49 0 10 226 9 0 63 55 2.30 1.03 2005
2004 24 ¥200,000,000 1 23 19 10 5 0 10 6 0 - .625 601 146回 127 7 42 0 6 127 5 0 50 47 2.90 1.16 2004
2003 23 ¥115,000,000 1 29 27 8 2 1 16 7 0 - .696 801 194回 165 13 63 2 9 215 4 0 71 61 2.83 1.17 2003
2002 22 ¥140,000,000 1 14 11 2 0 0 6 2 0 - .750 302 73回1/3 60 13 15 1 7 78 2 1 30 30 3.68 1.02 2002
2001 21 ¥100,000,000 1 33 32 12 2 1 15 15 0 - .500 1004 240回1/3 184 27 117 1 8 214 9 1 104 96 3.60 1.25 2001
2000 20 ¥70,000,000 1 27 24 6 2 0 14 7 1 - .667 727 167回2/3 132 12 95 1 4 144 2 0 85 74 3.97 1.35 2000
1999 19 ¥13,000,000 1 25 24 6 2 0 16 5 0 - .762 743 180回 124 14 87 1 8 151 5 2 55 52 2.60 1.17 1999
NPB通算 ¥2,418,000,000 11 205 190 72 18 7 108 60 1 0 .642 5778 1403回2/3 1102 112 504 6 57 1357 42 4 513 461 2.96 1.14 NPB
MLB通算 ¥5,360,169,800 8 158 132 1 0 1 56 43 1 3 .566 3444 790回1/3 721 85 387 9 45 720 31 0 406 391 4.45 1.40 MLB
通算 ¥7,481,169,800 19 363 322 73 18 8 164 103 2 3 .614 9222 2194回 1823 197 891 15 102 2077 73 4 919 852 3.49 1.23 通算
太字はリーグ最高・最多記録/メジャーリーグ時代の年俸は1ドル=100円で換算

タイトル&表彰

最多勝
1999-2001年
最多奪三振
2000-2001年、2003年、2005年
最優秀防御率
2003-2004年
新人王
1999年
沢村賞
2001年
ベストナイン
1999-2001年
ゴールデングラブ賞
1999-2001年、2003-2006年
JA全農Go・Go賞
2003年5月、2005年5月、2006年5月
オールスターゲームMVP
2004年第1戦
パ・リーグ特別表彰
2000年
Baseball Digestルーキーオールスターチーム(MLB)
2007年
WBC最優秀選手
2006年、2009年
日本プロスポーツ大賞
1999年(大賞)、2007年(殊勲賞・40周年特別賞)
報知プロスポーツ大賞
1999年
毎日スポーツ人賞
1999年(ファン賞)、2007年(国際賞)
ナンバーMVP賞
1999年
日本ジュエリーベストドレッサー賞
2008年(特別賞)

主な出来事

2017年01月28日
ヤフオクドーム内で契約更改を行い、年俸4億円の現状維持でサイン。2017年は3年契約の3年目。
2016年10月02日
楽天とのシーズン最終戦で、10年振りに日本の1軍マウンドに登る。結果は1イニングを投げて被安打3、四死球4の失点5(自責2)と芳しくはなかったが、肩痛からの復帰に光明が見え始めた。
2015年08月18日
右肩関節唇及び腱板クリーニング、ベネット骨棘切除、後方関節包解離の内視鏡手術を受ける。
2015年03月17日
オープン戦登板時に右肩の筋疲労により離脱。日本球界に復帰した2015年は結局このまま1軍登板を果たすことはできなかった。
2014年12月04日
福岡ソフトバンクホークスと3年総額12億円という大型契約で日本球界復帰を発表。
2014年08月28日
肘の消炎剤注射を受けながらリリーフとして復帰。
2014年07月25日
右肘の炎症により15日間のDL入り。
2014年04月20日
ブレーブス戦で延長11回から3イニングスを投げ、日米通算2000奪三振を達成。
2014年04月16日
この年はメッツとマイナー契約を結んでいたが、この日晴れてメジャー昇格を果たす。
2014年01月24日
ニューヨーク・メッツとマイナー契約で再契約を締結。
2013年10月31日
メッツとの契約満了により一時フリーエージェントとなる。
2013年09月
2005年からパートナーシップを結んでいたエージェント、スコット・ボラス氏との契約を解除し、新たにSFX社と契約を結ぶ。
2013年08月22日
ニューヨーク・メッツとメジャー契約を結ぶ。
2013年8月20日
クリーブランド・インディアンスとのマイナー契約を解除し、フリーエージェントとなる。
2013年04月28日
3Aポータケット戦で左脇腹を痛めDL入り。
2013年02月13日
クリーブランド・インディアンスとマイナー契約を締結。
2012年10月29日
ボストン・レッドソックスからフリーエージェントとなる。
2012年10月03日
ニューヨーク・ヤンキースの黒田博樹投手と投げ合うも7敗目を喫し、シーズンを終える。
2012年06月09日
ワシントン・ナショナルズ戦でトミー・ジョン手術からのメジャー復帰を果たす。
2011年06月10日
故ルイス・ヨーカム医師によるトミー・ジョン手術を受ける。
2010年06月07日
インディアンス戦で日本プロ野球2リーグ制後では最速の150勝目(日米通算)を挙げる。
2009年04月15日
右肩の疲労によりDL入り。この年はWBC開幕前から股関節を痛めており、それによるシーズンの不調をレッドソックスのエプスタインGMに直接謝罪したと言う。
2009年03月23日
ドジャースタジアムで行われた第2回WBCの決勝戦で韓国を破り2大会連続優勝を決める。
2009年03月22日
ドジャースタジアムでのアメリカとの準決勝で大会3勝目を挙げる(大会最多勝でMVPに輝く)
2009年03月15日
ペトコパークでの第2ラウンド1組初戦のキューバ戦で大会2勝目を挙げる。
2009年03月03日
東京ドームで行われたWBC第1ラウンド第2戦の韓国戦で今大会初勝利をマーク。
2008年09月21日
ブルージェイズ戦でシーズン18勝目をマーク。
2008年09月15日
レイズ戦で日本人シーズン最多となる17勝目をマーク。
2008年06月21日
DLから復帰。
2008年05月27日
右肩回旋筋腱板の張りでDL入り。
2008年04月01日
アスレティクス戦でシーズン初勝利を挙げると5月まで無傷の8連勝を記録。
2008年03月25日
東京ドームで行われたオークランド・アスレティクスとの開幕戦に登板。
2007年10月27日
クアーズフィールドで行われたロッキーズとのワールドシリーズ第3戦で勝ち投手となり、日本人史上初のワールドシリーズ先発登板とワールドシリーズ勝利を記録。この時ロッキーズでは西武時代の同僚である松井稼頭央選手がプレーしていた。
2007年09月28日
ツインズ戦で日本人選手史上初、メジャー史上5人目となるメジャー1年目での15勝・200奪三振を記録。
2007年08月04日
マリナーズ戦で日米通算1500奪三振を達成。
2007年04月5日
ロイヤルズ戦でメジャー初先発初勝利を記録。
2006年12月14日
レッドソックスと総額5200万ドルで6年契約を締結。
2006年11月15日
ポスティングシステムにてボストン・レッドソックスが5111万1111ドル11セント(約60億1000万円)で松坂投手との独占交渉権を獲得。この入札にはレッドソックスのほかメッツ、ヤンキース、レンジャーズも参加していた。
2006年06月16日
交流戦の横浜戦で通算100勝をマーク。191試合目での100勝達成は、ドラフト導入後は193試合の江川卓投手を抜き、上原浩治投手と並ぶ最速記録。
2005年
シーズンオフにスコット・ボラス氏をエージェントとしてポスティングシステムでのメジャー移籍を球団に訴えるtも、西武球団はこの年のポスティングシステムの利用を拒否。
2004年11月29日
中日ドラゴンズとの日本シリーズを制し日本一になった直後、柴田倫世さんとの結婚を発表。
2004年08月24日
アテネオリンピック準決勝でオーストラリア戦に先発し、8回途中まで1失点の好投を披露するもチームは破れ、この時点で日本の金メダルの可能性が潰える。しかし翌日の3位決定戦でチームが勝利したため、松坂投手をはじめとする日本代表は銅メダルを獲得した。
2003年11月06日
アテネオリンピックのアジア予選、チャイニーズタイペイ戦に先発し7回無失点という好投を披露。これにより日本代表は五輪出場条件をほぼ手中に収め、松坂投手自身は大会最優秀投手に選ばれた。
2002年05月13日
大阪近鉄バファローズ戦で右肘痛を発症し、長期離脱を余儀なくされる。日本シリーズで復帰登板を果たすも、チームは巨人相手に4戦4敗という屈辱を味わう。
2001年
プロ入りから3年連続で最多勝を獲得し、初めて沢村賞投手に選出される。
2000年09月13日
交際していた柴田倫世アナウンサーの自宅マンション前で駐車違反をしてしまう。しかし松坂投手は8月に免停となっており、無免許での違反になってしまうということで黒岩彰広報が身代わり出頭をする。しかしこれが後々大きな問題になってしまい当時の小野賢二球団社長と黒岩広報は責任を取って辞表を提出する事態に。
1999年7月
高卒新人選手として月間MVPを受賞。高卒選手の月間MVPは1986年9月の清原和博選手以来。
1999年07月24日
オールスター第1戦に先発をし、3イニングスを投げて5奪三振。この試合の優秀選手とオールスター新人賞に選ばれる。
1999年05月16日
西武ドームでのオリックスブルーウェーブ戦で初めてイチロー選手と対戦する。結果は3打席連続三振のあと1四球と松坂投手の圧勝。この試合のヒーローインタビューで松坂投手は「プロでやれる自信が確信に変わりました」と語った。
1999年04月27日
再び黒木投手と投げ合いリベンジを果たす。
1999年04月21日
ロッテ戦で黒木知宏投手と投げ合い0-2で敗れると、試合後に「リベンジします」と語る。この言葉がこの年の流行語大賞に選ばれる。
1999年04月07日
球団は西武ドームでのカードで松坂投手を初登板させるべきと主張したが、東尾修監督ができるだけプレッシャーの少ない試合で初登板させてやりたいという親心を貫き、東京ドームでの日本ハム戦でプロ初登板を果たす。この試合では155km/hという球速も記録し、8イニングスを投げて2失点という好投でプロ初勝利をマークする。
1998年11月20日
新高輪プリンスホテルで行われたプロ野球ドラフト会議で西武、日本ハム、横浜の3球団から1位指名を受け、くじ引きにより西武が交渉権を獲得
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